新着一覧

9月

ひと月に一回くらいは月報のようなものを書こうと思っている。今月は本当に小説を書かなかった。何度も呟いているように、数回書き始めてはいたのだが、どうも違うので頓挫してばかりだった。一番最近は、『ネグム・イドリースの葬送』を書いていた。八辻進とネグム・イドリースの別れをきちんと書けていなかったのが心残りだったので。なんというか、言語を失うことを巡る、三回転半ひねりみたいな小説だったのだけど、何かが違う […]

時と光とツグミ

ポッキーの先端を口にくわえてパキッと折る。唇を動かし折れた先を口の中に入れ食べ終えると、残った方をポリポリとかじっていく。そして最後チョコレートのかかっていない部分を口の中に放り込んで、おしまい。 僕はそんなツグミの一挙手一投足を目に焼き付けようとして、一方のツグミは僕を放ってずっと星空を見上げていた。その夜のツグミは白いTシャツにカーキの短パンという男の子みたいな恰好をしていて、でも頭の高いとこ […]

Kill Me Again and Again

今日も風呂に入れなかった。 熱帯夜のなか、部屋のエアコンはかび臭い風を送り、ガタガタといかにも瀕死という音を立てていた。俺はその音を無視して、エアコンの真下で寝転がっている。風が、ぬるかった。 毎日十時に仕事から帰って来ると、タンクトップと短パンに着替えて、布団に横になってしまう。そうして寝転がってスマホを眺めているうち、身体はどんどん重さを増して、身動きが取れなくなる。 スマホを見る以外の全てが […]

人類の遺言

Takashi Smith サギッタと名付けられた巨大隕石が地球に衝突するまで三年を切った。サギッタの軌道を変える術は存在せず、シェルターを造って生存を図ることのできるレベルを遙かに超えており、人類の滅亡は避けがたい運命であった。 無論それでも生き残りを賭けて足掻く者達は数え切れなかったが、地球の終末を悟った人々は、ある一大プロジェクトを開始した。すなわち、人類の遺言を月に送るという計画である。 […]

俺は、君の小説が好きだよ

俺は柚(ゆず)江(え)が住むアパートに駆け込むと一目散に三階へ駆け上がった。後ろで管理人のおばさんに呼び止められるが気にしている余裕は無い。三〇三号室。ドアノブを捻る。開かない。激しくドアを叩く。 「柚江! 柚江‼」 中から応答は無い。辺りを見回す。廊下に面した窓。そして――俺は玄関の脇に置いてあった金属製の傘立てを持ち上げ振りかぶるとその窓に叩きつけた。ガラスが音を立てて破砕するの […]

イスマイール・シャアバーニ

私がイスマイール・シャアバーニ様の御許に召されたのは、才覚に見るべきものがあったからではなく、単に美しかったからなのでしょう。当時八歳であった私にさしたる才覚などありようもございません。 私があの方の召使いになるために初めてあの方の元を訪れた時のことは昨日のように覚えております。あの方は大理石でできた大きな邸宅にお住まいでした。私も貴族の出ですが、宮殿以外であのように「整った」建築は見たことがあり […]

於菟奇譚

『冒険家オットオが囚われの身になってから三年が経ちました。一直(ずっと)冷たい牢獄の中に閉じ込められ、焼き鏝(ごて)を当たられたり、水責めに遭ったりします。逞しかった彼の躰(からだ)は傷だらけになり見る影もなく瘦せ衰えました。牢屋には高い高い所に一つ四角い穴が開いていて其処(そこ)から空が見えます。オットオは其れを見て、嘗(かつ)て漂った南洋の日差しを思い出します。或いは時折風の音が聞こえて、オッ […]

告白

五限のローマ史の授業が終わると外はもう暗くなっていた。私は文学部棟を出ると身を震わせストールを首に巻き付け足早に少し離れた人文科学研究所まで歩いて行った。バイトがあるのだ。 研究所の前に着くと、ジョンが玄関まで迎えに来てくれていて、中から鍵を開けた。三十過ぎの育ちのよい顔が柔和な笑みを作る。 「こんばんは、ちあき。きょうはゆきですね」 私は笑い返すとその場で仰向いた。既に夜を迎えた天(そら)から白 […]

ハテナシ

この瞬間血の一滴、涙の一滴も流さない私の心情は分かってもらわなければならないのです。 夕暮れの電車の中人はいません。窓の外には大きな河が見えて、水面がオレンジの光を反射しています。河にかかる橋の鉄骨が電車の中にまで影を伸ばして横向きの赤い座席に座る私の身体を次々に横切っていきます。河の下流の方で太陽が最後の輝きを見せています。あれは沈みません。ずっと沈みません。この電車が河を渡り切ることが無いのと […]

يامغۇر (Yamghur)

斯波さんはまるでそこに私がいないかのように窓の外の雨を見ていました。所謂天気雨というもので、日の光が斯波さんの痩せた顔に陰をつくっていました。私は今に至るまで斯波さんの年を知りません。四十になるかならないか、そのくらいでしょうか。彫の深い顔に苦労が滲んでいました。 斯波さんの前に運ばれてきたコーヒーは湯気を立てながら冷めていくばかりです。私はそれを見ながら自分のコーヒーに口をつけました。今の私の胃 […]