告白

五限のローマ史の授業が終わると外はもう暗くなっていた。私は文学部棟を出ると身を震わせストールを首に巻き付け足早に少し離れた人文科学研究所まで歩いて行った。バイトがあるのだ。
研究所の前に着くと、ジョンが玄関まで迎えに来てくれていて、中から鍵を開けた。三十過ぎの育ちのよい顔が柔和な笑みを作る。
「こんばんは、ちあき。きょうはゆきですね」
私は笑い返すとその場で仰向いた。既に夜を迎えた天(そら)から白い結晶が降ってくる、その様子が研究所の灯りが届く範囲でよく見えた。天に由来するものが私の髪や服に触れゆっくりと輪郭を溶かし水滴に変わってゆく。私はそこから動きがたく思っていたが、早く中に入るようジョンに促されたので、玄関に足を踏み入れた。
二人で四階の小さな談話室に向かう。ジョンはイギリスから一年の短期滞在でやってきた研究者で、日本語の勉強をしたがっていた。その話が先輩経由で私のところまで回ってきたので、私は彼と週に二時間日本語で雑談をするだけで三千円もらえる甚だ割のいいバイトを始めることになった。もっともジョンは大変気持ちのいい人で彼と話すのは楽しかったから、お金を貰わなくても私は彼の所に行きたかったかもしれない。
その日はもう十二月も下旬だったから、談話室に着いた私達の話題は自然とクリスマスに向かった。私は時折ジョンの日本語を正しながら、イギリスのクリスマスについて話してもらった。それが終わって翻って日本のクリスマスの話になったところで、ジョンは日本人と日本を知る外国人が無限に繰り返してきた指摘をした。すなわち、クリスマスを祝い、神社に初詣に行き、葬式は仏教という日本人の無節操を笑ったのだ。
それに対して私は苦笑しながら、つい、「私に比べれば多くの日本人の方がマシです」と思わせぶりなことを言ってしまった。当然「どういうことですか」とジョンが聞く。私は困ったことになったなと思った。その話は少し込み入っているし、ジョンに分かるような日本語で話せる自信が無かったので。しかし、引っ込みがつかなかった。私は語り始める。

私が三歳から六歳まで通っていたのはキリスト教系の幼稚園でした。ですから、私は幼少期にキリスト教の教育を受けたのです。もちろん、ジョン、あなたが受けたそれとは恐らく段違いに表面的でこども向けのものだったでしょうが。ただ、幼い私のせかいを形作るにはそれで十分でした。私はかみさまを持ちました。
日本には八百万(やおよろず)の神といって、とても沢山の神様がいます。ご存知ですか、お米粒の中には八人の神様がいるんです。私はそれも信じました。けれども、走り回ったりどんぐりを拾ったりして遊ぶ私のせかい、その天(そら)の上にはやはり唯一のかみさまがいて、専ら私が祈るのはそのかみさまに対してでした。
マギ、東方三博士の話はあなたも小さい頃からよく聞いたはずです。誕生したイエスのもとを訪れて三つの贈り物をした占星術の学者たち、私は彼等の話が大好きでした。ユダヤ人の王の居所を示す星を見つけた彼等は、私の頭の中でとても幸せそうに笑っていたので。私もそうありたいと思いましたし、そうあれると思っていました。長じてゲッセマネの園で居眠りする弟子たちを決して笑えぬ大人になるなどとは思っていなかったのです。
昔はなかなかアクティブなこどもだったので、近所の石垣によじ登って遊ぶのがお気に入りでした。ある日のこと、石垣に登ると、そこから友達のお母さんと母が喋っているのが見えました。手を振ると、「気を付けてね」と声が返ってきます。適当にその声を聞きながら、私は近くに生えていた蒲公英(たんぽぽ)を摘み息を吹きかけて綿毛を飛ばし、その綿毛が少し曇りがちな天に溶けていくのをうっとりとしながら眺めました。しばらくそうしていて、さあ帰ろうと思った所で石垣からつるっと足を滑らせて頭から下に。遠くから上がる母たちの悲鳴。けれども空中でクルッと一回転半して足から着地しました。
着地した後ちょっとぽかんとして、その一回転半回って無傷だったのはなかなか奇跡的だと感じました。しかし腑に落ちもして。空を見上げて、ああかみさまが守ってくださったんだと思ったところで飛んできた母に抱き締められました。母は泣いていて、私はそれが不思議でした。なぜ。毎日お祈りをしている私をかみさまはお守りくださるに違いないのに。
そう、毎日お祈りしていたんです。いいこでしょう。幼い私は世界の人々の幸福を本気で願っていましたので、毎晩眠る前、家族、私から始めて世界中の人達を守ってくださるようにかみさまにお祈りしていました。私の祈りにも関わらず世界では毎日バタバタ人が死んでいましたが、それは私の信仰に影響しませんでした。それはそういうものだと思ったのです。それをかみに対する不敬とも思いませんでした。
卒園する時に新約聖書を一冊貰ってそれを抱き締めて帰りながら小学校に上がる前にこれを全部読もうと決意しました。実際はマタイ福音書でイエスが復活する所までしか読みませんでしたが。――或いはその時決意通り聖書をすべて読むようなこどもであったならば違った未来があったのでしょうか。私は私の信仰心に比べて甚だしく知識を欠いていました。恐らくはそれ故、私の祈りは枉(ま)がりました。
十歳の時に私の大好きなおじいさんが癌で危篤になってしまってもう保(も)たないと、それがこどもの私にも分かった晩に私はかみさまに祈りました。「私のいのちを少し取ってもいいですから、おじいさんを生かしてください」布団の中で手を組んでそのように。目を瞑ってから夢を見ました。私が寿命半ばで無残に死ぬ夢でした。はっと目覚めて、いのちを分けるとはつまりそういうことなのだと気付いた私は慌ててかみさまへの祈りを取り消しました。おじいさんは次の日の朝死にました。私はおじいさんの死に対して涙を零す資格を失いました。
あの時、ただおじいさんを生かしてくれるよう祈ればよかったものを。私は祈りの方法を間違え、そして罪悪感に埋もれながらそのことに気付きませんでした。
再び枉がった祈りをしたのは高校生の頃です。その頃には自分の適性というか能力についてそこそこ自覚するようになって、私は読み書きに特化した、それしか取り柄の無い人種だということが分かっていました。そして文章というものに魅入られていました。だから祈ったのです。どうか、もっと読み、書けるようにしてください、そのためならば私はどうなっても構いませんと。
大学に入ってから大病をしました。そのせいで卒業が一年遅れたような病気です。私はそれによって色んなものを失いましたが、書くネタには事欠かないようになりました。ひとが経験したことがないことを幾らでも書けたのです。だから――かみさまは私の祈りを聞き届けてくれたのだと思いました。病に呻吟(しんぎん)しながらかみに感謝しました。
けれども、ある日ふと思って。これはかみなのだろうか、と。読み書きの代償として大病を賜る辺り、私が祈り契約を持ちかけた相手は悪魔に類するものなのではないかと。そう、契約。あれは契約であり、その成就でした。私はこどもの頃から毎晩眠る前にお祈りをするのを習慣としていましたが、その祈りに疑いを持つようになりました。
そこでかみさまを信じられなくなったならば、そこでかみさまを棄てられたならばまだ楽だったのです。かみさまのいないせかいに生きられたならば、まだ苦しまなくて済んだのです。或いは他の宗教を信仰できるようになったならば。しかし、他教の聖典を開いた私はいずれ自分が堕ち行く場所として
火獄(ジャハンナム)の名を覚えただけでした。
私の枉がった祈りによってかみへの信仰は変質しました。最早私は石垣の上にいた日の如く愛されてはいないのです。けれども私は幼い日から祈っているこのかみさまをどうしても棄てることができません。私はあまりに長く信仰し、そして此処にいまだ生きて在るのですから。
このように半端なまま漂う私に比べれば、端から無節操に信仰を切り替える人々のなんと潔いことでしょうか。

そこで顔を上げるとジョンは固まっていた。
「私の日本語分かりましたか」と聞くとジョンは静かに首を振る。私は申し訳ない気持ちになりながら微笑んだ。
「そうですか。今日の私は雇われの身として失格のようです。でも……安心しました」