現代のこころで語り直される神話『星座と神話』

 杜松の実『星座と神話

 星座に込められた神話を再編集。
 ふたご座の一等星と二等星「ポルックスとカストル」。最新科学を踏まえた全く新鮮な神話を書いてみました!




 おはようございます、辰井圭斗です。昨年は「辰井講評窓口2」にご参加くださりありがとうございました。ご参加いただいてからほとんど半年経とうとしています。遅くなってしまい申し訳ありません。こちらに講評を書きます。

 神話の語り直しを語り直しの過程も含めて見せた作品。「語り直しの過程も含めて」というのがミソかなとも思いました。物語を語ること自体が物語であるという構造。最初にもとの神話を引き、それからもとの神話に対する疑問を提示し、ヒントとなる星の科学的知識をふまえ、新しく神話を語り直す。

 特筆すべきはもとの神話に対する疑問と新たな神話が、人間の情に基づいているということだと思います。つまり単に辻褄を合わせようということではなく、カストルとポルックスに人間(片方は神の子ですけど)を見ようとしている。カストルとポルックスに生きた人間として思い入れするからこそ、「それでいいのか」とも思うし、「人間ドラマ」に溢れた新たな神話が立ち上がっている。恐らく力を入れて書かれたところだと思いますし、書き手の特質だなと思いました。

 余談ではありますが、昨今のディズニーの例を引くまでもなく、神話・おとぎ話の現代解釈というものは盛んにされてきました。私はそこまで例を見ているわけではありませんが、概ねもとの物語が持つ不条理・不合理にメスを入れて、現代のこころと論理で納得しやすいかたちにするというのは一つの方向性であるように見えます。
 概して古い物語は(もちろん物語の構造は保っているものの)、現代の我々から見て不条理・不合理に映ります。しかし、一方で思うのです。ああした物語は不条理・不合理であるということも一因として生き残っているのではないか。なぜなら、私達は、世界を私達のこころと論理が納得するかたちで捉えようとするけれども、世界はそもそも不条理・不合理のかたちで私達の前に立ち現れるのであるから。
 古い物語と盛んに語り直されている新しい物語のどちらが生き残るか興味のあるところではあります。生き残ることが絶対の正義ではありませんが。

 そんなことをつらつらと考える作品でした。読ませてくださりありがとうございました。




【作者様からの返信】
 コメントありがとうございます。辰井さんの企画に参加させて頂いていたこと自体忘れていました。半年もの期間が空いても、講評を寄せて頂きありがとうございます。

 後半の余談、すごく興味深いです。不合理・不条理であるからこそ、残った。なるほど、そうかもしれませんね。さらに、一般に神話には事象しか書かれない(誰々が何をした、理由は怒ったから、などと単純なものしかない)。そういった虫食いな文章であるから、人が勝手に解釈を膨らます。人が解釈を膨らましたいと思うのは、それが「神の話」だから、かもしれませんね。
 神にまつわる不合理・不条理な話を聞けば、その話が間違っている、とは思わない。だって、神ならそんな変なことしそうだし、と。

 前半部の講評にもコメントを返させていただきます。
 私は、私の伝えたい考えを示すために、「語り直しの過程」を見せる必要があるために、載せたに過ぎなかったのですが、どうやらそこがミソとして、読者に届いたのはうれしいですね。

「星の明るさや色についての科学」と「ふたご座の神話」を知っていました。その上で天体観測をしていて、ふと
「カストルの方が、明るいんだ。それで、カストルの方が遠くにあるんだ。人間の方が神の子より先んじて、尚且つ強い光を放っている、とはロマンチックだな」
 と、この話を思いついたまでです。
 きっかけは些細でしたが、書いてみると自身でも驚くほど納得のいく出来になったわけです。
 言われてみると、私は神話にも「人間味」といいますか「人間ドラマ」を描こうとしていたのですね。
 実は、同じように神話を再編しようと試みて納得いかない物があり、今はそれを非公開としています。「人間味」を持たせようという心意気を忘れていたな、と実感できました。

 ありがとうございます。私のためになる講評でした。

 杜松の実『星座と神話