ウェルメイドな物語『赤ちゃんを産む魚』

作品情報

外宮あくと『赤ちゃんを産む魚

どうして気付けなかったのだろう。誰よりも近くにいたのに…

グッピーは、卵をお腹の中で孵して稚魚を産む。
まるで人間みたいだと私は思った。

と、母魚はくるりと稚魚に振り向き、稚魚をパクリと……。
それを目にした私は――――涙と共に叫びがとまらなくなった。

※「小説家になろう」にも掲載しています。

講評

こんばんは、辰井圭斗です。昨年は「辰井講評窓口3」にご参加くださりありがとうございました。講評が大変遅くなってしまい申し訳ありません。こちらに講評を書きます。

飼っているグッピーのある行動をきっかけに「私」の感情が溢れ出す、「私」と夫の話。大変ウェルメイドでした。web小説に向いた分かりやすさを持った作品で、高評価であるのも頷けました。

……。講評をすごくお待たせした上に、こんな辻斬り御免みたいなことを言うのはためらわれるのですが、超めんどくさいことを言ってもいいでしょうか。

この作品は大きな喪失を扱った作品でした。私は誰かを亡くすだとか、病気をするといった話を書く時に、いつも「物語」にはしたくないと思います。もっと言えば「ウェルメイド」な作品にはしたくないと思って書きます。なぜなら、大きな喪失というものは自分自身を揺るがす経験であるために、本当は「物語」によって完全に制御することはできないものではないのかと思うのです。いわば、大きな喪失をウェルメイドな物語にしてしまうことは、大きな喪失の角を丸めるようなものではないか、ということです。
こんなことを言うのは子供なのかもしれません。こうした題材の話をきちんとした物語にしている外宮さんの方が書き手としては大人だとも思います。ただ、こういうめんどくさいことを考えている書き手としては乗り切れないところがありました。

何度も申し上げますが、出来はよいと思います。読ませて下さりありがとうございました。

作者様からの返信

お読みいただきありがとうございます。

感じ方は千万別ですので、どのような感想を抱くかも読み手の自由なのでしょう。
私は物語を創作したくて、小説を書いています。
ただ、この作品だけは、少し違っています。物語として昇華させた上でないと、吐き出さずにはいられなかった思いが形になったものです。要するにフィクション含みの実話なわけです。グッピーも飼ってましたし。
仰る通り、喪失は自分自身を揺るがす体験です。私には言葉にすることができませんでした。だからエッセイにしようとも思いませんでした。アンタッチャブルかつ大切な記憶です。
都合よく上手いこと物語にまとめようとした自覚はあります。お言葉を借りるなら、フィクションの力で制御できないものを制御しようとしたのかもしれません。それは読み手のためではなく、自分のために、ですね。
もっとも痛いところは、物語にすらすることができませんでした。ということは、やっぱり制御できないものなのでしょう。
そういうところが見えてしまったのなら、乗り切れないということも頷けます。

コメントありがとうございました。

外宮あくと『赤ちゃんを産む魚