破滅を予定された逃避行の、しかし美しく甘美にすら見えること『心臓を濯げキアウィトル』

藤田桜『心臓を濯げキアウィトル

妹が雨の神への生贄に選ばれた。

こちらは小説家になろうで掲載させていただいている『雨が心臓を食べるので』を書き直したものとなっております。





衝撃的でした。私が一等好きな作家が書く文章に似ていて、しかし紛れもなくオリジナルだったので。
なろうで前のバージョンが公開された時もリアルタイムで読んでいましたが、ずっといいと思いました。

なんと優しく、美しく残酷に書かれるのでしょうね。
情のある作家さんだから、優しく人間ドラマが書けるのも知っているし、ことばの感覚がとても敏感な方だから、美しいものが書けるのも知っています。優しく美しいだけに、常々、この方がそれ自体極めて残酷な状況の中で人間ドラマを書いたらすごいことになるだろうなと思っていたのですが、今回それが読めました。
”――そういうことにしてくれるのか”に息が止まりそうになったのをしばらく忘れないと思います。

”まるで互いの肌に触れているようだった”というなんでもない文章が、なんであんなに胸騒ぎを起こさせるのでしょうか。
兄と妹には、というか兄の妹に対する感情には、単に仲のいい兄妹という一線を越えたものがあるように見えます。

もうじき生贄になる妹。
まだ大人には満たない二人。
兄は妹の手を引き走り出す。
兄が頭のどこかで予感している通り、その逃避行が成就されるはずはないのです。
しかし、走る二人の姿の、なんと美しく甘美に見えることでしょう。
金の足環が陽光を跳ねさせて、翡翠や貝殻の細工、ケツァールの羽根飾りは彼女を飾り続けて。
メソアメリカの土と植物の濃密な空気のなか、戸惑う人々の手をかいくぐり街を駆ける。
その情景の刹那に鮮やかなこと。

10代の頃によい作品を見た時のように胸が締め付けられました。
素晴らしかったです。

藤田桜『心臓を濯げキアウィトル